ばるぼらの世界観を見事に表現した名作
映画「ばるぼら」を観てきましたのでレビューを書きます。
映画の公開は2020年11月20日になります。
二階堂ふみさんと稲垣吾郎さんの演技が凄まじく良く、映画全体の雰囲気にのみ込まれて落ちていくような感覚を味わわされました。
二階堂さんのオールヌードでの体当たりの演技が注目の話題ですが、実際に観ると妖艶さの中に不気味さもあり、本当惹きこまれました。
後半にはネタバレありでレビューも書きますので、映画を観た方もぜひチェックしてみてください。
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映画「ばるぼら」とは
原作は、1973年から約1年連載された手塚治虫の同名漫画です。
コミックとして全2巻で発売されています。
ある小説家と、ある日、目の前に現れた不思議な女性ばるぼらとの恋に落ちていく様子を描いた作品ですが、小説家は異常性欲者だったり、ばるぼらはアルコール依存の見た目もボロボロの女性とその設定もあまり見たことない形です。
そして、その二人を稲垣吾郎さんと二階堂ふみさんが熱演しています。
この映画は、日本・ドイツ・イギリスの合作で、監督を手塚治虫さんの長男である手塚眞、撮影をクリストファー・ドイルが行っています。
映像の雰囲気も、日本で撮影しているが、まるで日本ではないような映像となっていて、とても不思議に感じさせられました。
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あらすじ
美倉洋介は人気小説家。
しかし、美倉は他人に隠している一面があった。
それは、異常性欲に悩まされているということだった。
そんなある日、美倉は新宿の路地裏でばるぼらと名乗る女性に出会います。
ばるぼらは、アルコール依存で見た目もボロボロのホームレスのようだった。
美倉は何となくばるぼらを拾い、家に連れて帰る。
ばるぼらは家にいても何もせずに、ただ酒を飲むだらしない女性。
しかし、美倉はそんなばるぼらに奇妙な魅力を感じていた。
そしてばるぼらと一緒にいることで、新たな小説を創造する意欲がわいてくる美倉。
相変わらず、異常性欲による幻想に悩まされる美倉。
ばるぼらはそんな幻想から美倉を救い出す。
美倉にとってばるぼらはなくてはならない存在になっていく。
ばるぼらはいったい何者なのか?
美倉とばるぼらの二人の未来は?
「ばるぼら」のネタバレなし感想
まず、この映画の素晴らしかったところですが、主演の2人の演技がすごくてひきこました。
稲垣吾郎演じる美倉。
人気小説家ということで、寄ってくる女性もいたり、その力を利用しようと近づいてくる人間もいます。
そんな中、周りからこうあってほしいと望まれる形と、自分がなりたいものの形のズレに悩む様、苦悩がとてもうまく描かれていました。
そして、二階堂ふみ演じるばるぼら
ばるぼらは映画の冒頭で「都会が何千万という人間をのみ込んで消化し、たれ流した排泄物のような女」と言われるように、最初は路地裏で酒に酔って寝転ぶみすぼらしい女性でした。
美倉の家に転がり込んで、美倉と関わる中で、ばるぼらの不思議な魅力に惹きつけられます。
それは、美倉と同時に観ているこちらにも強く印象づけてくるような演技力でした。
そして美倉とばるぼらが互いをベッドで求めあうシーン。
2人の体当たりの熱演にも圧倒されましたが、エロティックなシーンなのに、そこに美しさすら感じさせられながら観ていました。
惜しげもなく披露された二階堂ふみさんのオールヌードに、女優としての心構えや生き様のようなものも感じ、ただ凄いなと尊敬もしました。
この漫画は、1973年ということで今から47年前の作品です。
しかし、映画を観ても、古臭さも感じず、令和となった今観ても惹きつけられたのは、手塚治虫の原作の力、監督の見せ方、そして二階堂ふみさん、稲垣吾郎さんの演技の力が重なって生まれた力を感じました。
そして、惹かれあう美倉とばるぼらが最後にたどり着いた場所とは。
映画のラストで描かれた狂気ともとれる美倉の行動、そしてばるぼらの観ていて目が離せなくなったあのシーン。
特にラスト数十分のあのばるぼらを演じた二階堂ふみさんは、本当に見ていて美しく、不思議な感覚におちていきました。
ぜひ、観てほしいです。
この映画、頭に何も入れず観にいってももちろん楽しめますが、可能であれば、原作を軽く読んでいくこともおススメです。
僕は原作の漫画を昔読んだことがあったので、すぐにばるぼらの世界観に入ることができましたが、全く知らない方からすると、若干理解できず、「ん?なんで?」なんて感じることがあるかもしれません。
美倉が異常性欲者だとしらなければ、いきなり人形や犬と濡れ場があったとしても何かわからないと思われるかもしれないです。
少し、原作の予備知識を入れてみた方が、すんなりとばるぼらの世界に浸れます。
他の映画のように、どんでん返しやストーリーを楽しむのもいいですが、予備知識を入れた状態で「美術館に絵画の芸術を観にいく」みたいな感覚でも楽しめる映画だと思います。
僕は、映画と同時に舞台挨拶もついていた上映で見たのですが、監督は「初めて二階堂ふみさんと稲垣吾郎さんが衣装を着て立った瞬間、もうばるぼらの映画はできた」と感じたそうです。
そこにいたのは、二階堂ふみさんと稲垣吾郎さんではなく、手塚治虫先生のぼるぼらの中にいたばるぼらと美倉そのものだったからです。
僕も不思議な気持ちになりましたし、この映画には素晴らしい魅力を感じさせられました。
ぜひ、映画館で観て、この気持ちに共感してほしいと思いました。
「ばるぼら」のネタバレあり感想
それでは、ここからはネタバレありの感想を書いていきます。
みなさんはこの映画どう感じましたでしょうか?
僕はあまり予備知識を入れずに映画を観にいったのですが、映像が作りだすばるぼらの世界観にすごく入り込んで惹きこまれました。
撮影監督クリストファー・ドイルが作りだした映像とその色合いがとても美しかったです。
まさに画を楽しむ映画だったと思います。
そして、手塚眞監督のキャスティングもよかった。
主演の二階堂ふみさんと稲垣吾郎さんもまさにはまり役でよかったのですが、最初のほうで登場した僕の好きな女優片山萌美さんもそのあふれるほどの妖艶さが凄かったです。
美倉の異常性欲の相手・人形役だったわけですが、そのスタイルと惹きこまれそうになる表情がめちゃくちゃヤバかったです。
手塚治虫が47年前に生みだしたばるぼらという世界を、俳優陣の演技、監督が撮る映像美、モダンテイストな音楽がおりなって作りだした芸術作品のようでした。
深くストーリーを考えるよりも純粋に芸術作品を鑑賞すればいいと思わされました。
といいつつも、ストーリーも純粋に楽しめました。
最後にたどり着いた小屋でのシーン。
亡くなったばるぼらに対して、屍姦やカニバリズムをする行動は、気持ち悪いのですが、そこに美倉の哀しみやばるぼらへの深い愛を感じさせられ、共感しました。
亡くなったぼるぼらを演じたシーン。
オールヌードでソファに腰かけさせられ、ただそこに存在するだけの演技。
稲垣吾郎さんが手前で美倉を演じているのに、なぜか奥にいるぼるぼらに目を引き付けられるそんな不思議な魅力がありました。
人形のように愛くるしく美しさを感じさせられ、本当に芸術作品のようにも感じされられました。
亡くなったぼるぼらと過ごすことで、突如美倉に湧いてきた創作意欲。
一心不乱にペンを走らせて小説を書いていく美倉の迫力はすごかったです。
狂気にも満ちた目で書きなぐる稲垣吾郎さんに息を飲みました。
映画のラストでは、冒頭同様に路地裏で寝転ぶばるぼらが映され、地面に散乱した紙にはぼるぼらの文字。
あのとき、小屋で書きなぐった小説はぼるぼらというタイトルで発行され、ヒット作となっていました。
この時僕は思いました。
「ぼるぼら?ぼるぼらっていったい何なんだろう」
もしかすると、ぼるぼらは存在しないのかもしれない。
ばるぼらは、人気小説家となり、異常性欲の苦しみ、様々な葛藤、虚無感という心の中の悪魔と戦っていた美倉が自分を救うために生みだした空想だったのかもしれない。
ぼるぼらと同居する家に秘書の加奈子が来たシーン。
美倉と会話するが、その場にいたばるぼらには気づくことなく出ていく。
ぼるぼらの周りの人物と美倉は会話するが、ばるぼらと美倉の周りの人物が会話をしたシーンはなかったようにも思いました。
もしそうだとしたら。
この空想のばるぼらと美倉の恋愛だからこその、あの不思議で、美しく、絵画のような演出だったのかもしれない。
なんて思ったりもしました。
手塚治虫ファンも手塚眞ファンも、そして二階堂ふみさん、稲垣吾郎さんファンも裏切らない素晴らしい映画でした。
まとめ
今日は11月20日公開の映画「ばるぼら」を紹介しました。
二階堂ふみさんのオールヌードや濃厚な濡れ場に注目が集まり、話題にされがちですが、本作は愛とは何か、芸術とは何かという正解のない問いかけを投げかけられたようなとても深く考えされられる作品でした。
とにかく役者陣の熱演に圧倒され、上映時間がとても短く感じました。
映像も音楽も素晴らしく、何度も観たくなる映画です。
そして、僕は昔に読んだ手塚治虫さんの漫画を久しぶりに読み返したくもなりました。
もっとこの世界観に浸りたい、そんな映画でした。